お葬式は、人が死んだことを弔うことを目的とした儀式です。死生観や宗教観といったものが反映される儀式で、我々人類がまだ文明を持っていなかった頃から、何らかの形で行われていたことが分かっています。
現在、私たちが行っているお葬式は、死者を弔うための行事ですが、実は私たちが大切な人の死を受け入れるために行っているとも言えます。「死」という事実を受け止める。私たち人類が積み重ねてきた、「大切な人の死」をしっかりと受け止め、そして心の整理をする方法が「お葬式」です。
私たち人類は、文明以前から「死」を前に、何らかの感情を抱いていたはずです。それはおそらく「畏怖」「恐怖」「畏敬」などという言葉で表せるのではないでしょうか。人類は「命がなくなる」ということについて、長い間、考え続けてきました。
人類が文明を手に入れる前の葬儀は、死者の周囲を花で飾るなどのシンプルなスタイルだったようです。現在のイラク北部で、葬儀跡と思われる遺跡が見つかっています。約6万年前のこととされていますが、埋葬の方法など、詳しいことは推測の域を出ません。人類が文明、文化を手に入れた後、「死」は宗教により、さまざまな解釈をされるようになります。
エジプトはピラミッドで知られる国ですが、そのピラミッドからはミイラが見つかっています。古代エジプトでは、「人には魂があり、死によって魂は体から離脱する」と考えられていました。ただ、古代エジプト人の考え方にはまだ続きがあります。この魂の離脱は一時的なもので、魂は同じ体に戻ってくると考えられていました。そのため死者の体をそのまま残しておいたのです。
エジプトでのミイラ作りは、エジプト神話の影響によるものとされています。人間のミイラだけでなく、神の使いとされた動物たちもミイラにされました。
聖書においては「死」は何もできない状態です。ただ、「復活」することもあるとされていて、イエスもその一人です。
キリスト教では「死」は罪。アダムとイブが神から離れた罪。しかし、イエスを信じるとこの罪は消え「復活」するそうです。
私たちは「死」を「天国に行く」と表現することがありますが、これはキリスト教的な考え方だと言えます。キリスト教の多くの宗派では、葬儀の際に「昇天」「召天」などの言葉を使います。
日本の仏教では「死」について、宗派によりさまざまな考え方があります。
「肉体は死と時を同じくして滅びるけれども魂は残る」
という考え方が多数派でしょうか。
仏教徒が亡くなると、私たちがよく知っている「他界」「往生」などの言葉を使います。これは輪廻転生の考え方にそったものです。
神道では「死」をタブーと考えてきました。そのため、神式の葬儀は「聖域」である神社では行いません。ただ、日本では神道の世界観から生まれた「帰幽」「冥土の土産に」などの表現をよく使います。日本神話では、死者の世界とされる「黄泉の国(よみのくに)」に行くことが「死」と考えられたこともあるようです。
古代インドにおける「死」の考え方は、「肉体の消滅と魂の不滅」です。肉体が死ぬと魂の前には「肉体再生(輪廻転生)への道」と「ブラフマン(宇宙の根本原理)」への道があるのだそうです。
これまで見てきたとおり、宗教により「死」についての考え方には大きな違いがあります。人間は「死」を前にすると、やはり「恐れ」を感じるのでしょう。それが誰の死であっても、自らの死であっても、誰もがこのような感情を覚えることは容易に想像できます。しかし、人間、いつかは必ず死にます。いくら宗教が救ってくれようが、救ってくれまいが、これは変わらない事実なのです。
それでも私たち人間は、死んでいくもののため、そして私たち自身のために「お葬式」をします。お葬式をすることで死者を弔いますが、それと同時に自分の心にも区切りをつけます。
お葬式は、人の死を恐れる気持ち、そして自分の気持ちに一区切りつけるために行うという話をしました。お葬式で私たちは涙を流します。それは大切な人を失った悲しさから来るものでもありますし、他の理由で涙が流れることもあるでしょう。
考えてみるとお葬式の多くの部分は「ありがとう」でできています。喪主は挨拶で、参列者に謝意を伝えるでしょう。弔辞は故人と親しい友人が読むことが多いと思いますが、そこにはやはり「ありがとう」があります。お通夜の後に行われる「通夜振る舞い」は、故人からの「ありがとう」の気持ちだと言われています。火葬が終わった後の「精進落とし」も葬儀のお手伝いをしてくれた方々や関係者の労をねぎらう「ありがとう」の会です。
これだけの「ありがとう」の気持ちが詰まっているならば、死を恐れる気持ちなど必要ないのではないかと考えさせられます。こんなに「ありがとう」があるならば、お葬式は、真の「ピュアな祭礼」に思えてくるのです。
人間は泣き、そして笑うことでストレスを発散します。泣き、笑うことで感情豊かになれます。お葬式という人生最後のイベントには、人それぞれ、1000人いたら1000通りのやり方があると思います。質素な式でも、盛大な式でも、そこにはたっぷりの「ありがとう」があれば最高のお葬式です。最近、生前から自分の葬儀を「自由葬」で計画する人も多いと聞きます。「ありがとう」の伝え方を考える人が多くなったのではないかと思います。
お葬式で写真撮影。あまり考えたことがありませんでしたが、お葬式で記念写真を撮っている風景というのは、あまり馴染みがありません。お葬式は、離ればなれになっている親戚が一堂に会するチャンスでもありますので、どこかで集合写真を撮ることはあると思います。
ただ、「祭壇の前で集合写真を撮る」ことに関しては、「縁起が悪い」と考える人も少なくないでしょう。ただ、地域によっては「故人と最期の記念撮影」をすることもあるようなので、地域やその家の考え方に従うべきでしょう。
最近は、宗教にとらわれない自由な葬儀を好む方が増えてきました。それにつれ、葬儀に付随するサービスにもさまざまなものが登場しています。
そのひとつが「お葬式のアルバム製作」。これは葬儀の様子をプロのカメラマンが撮影するサービスです。基本的には、どんなアルバムにしたいのかを事前に葬儀社と相談して、お葬式当日は、カメラマンがそれに沿った形で撮影を進めます。「音楽葬」などの自由葬と、「お葬式のアルバム製作」の愛称は良さそうですね。
考えてみれば、人生の大きな節目であるはずのお葬式に、記念アルバムがあってもいいですよね。赤ちゃんや子供の頃、卒業アルバム、結婚式でも多くの写真が撮影されるでしょう。それならば、葬儀という故人と最期に過ごす時間の記録があってもいいはずです。後日、大切な家族と仲間達に配る「愛とありがとう」の記録です。
お葬式にはお花がつきものです。「供花(きょうか)」と呼ばれますが、この供花には亡くなった方の礼を慰めるという役割とともに、葬儀会場を飾るという役割もあります。値段は1基あたり5000円から15000円程度ですが、葬儀社によってはパッケージに含まれていることがあるので、最初に確認しておくといいでしょう。
実際に葬儀を行った人の中には、「たくさん花が届けられたので、オプションでよけいに花を買う必要は無かった」という人もいます。しかし、1基である程度の値段ですので、オプションで多めに並べるとするとかなりの出費になりますね…
ちなみにお花を葬儀会場へ送る方法ですが、なかなか機会のないことなので、知らない人も多いと思います。ただ、その前に、ご遺族に事前確認を忘れずに。供花をお断りするお葬式も最近は多いようです。
お花を葬儀会場に送る場合、一番手軽なのはインターネット上の花屋を利用する方法です。ネットで申込み後、すぐに発送手配をしてくれます。
ただ、一番いいのは葬儀会場に連絡する方法でしょう。葬儀会場では、おのおの値段は違っていたとしても、飾られる花の種類には統一性や一貫性があります。インターネットの花屋さんでオーダーすると、まわりの花とミスマッチになってしまう可能性があります。
お葬式とお花。最近は葬儀の方法にも個性が表現される時代ですが、埋葬の方法にも個性が現れています。「樹木葬」は、墓石の代わりに「樹木」が墓標代わりになるという埋葬方式です。「樹木葬」にも種類があり、四季折々、違った花が咲く「ガーデン葬」もあります。これらは、あくまでも埋葬方法です。散骨とは違い、亡くなった方は草木や花を墓標代わりとするお墓に入ります。
「自然に還る」的な感覚はありますが、あくまでも管理された墓地内のスペースに埋葬されます。従来の仏式葬儀と比較すると、墓石がない分、葬儀費用は安くなります。お墓が季節により別の顔を見せてくれるというのも魅力的です。少し冬は寂しく見えてしまうかもしれませんが、その分、春の色鮮やかさが、より美しく感じられるかもしれません。
「赤い花は血を連想させる」
「トゲのある花は避ける」
葬儀の花を選ぶ際のポイントと言われています。
ただ、故人が好きな花だった場合は、特に問題ありません。ただ、送る前に親族にその旨、連絡しておきましょう。お葬式というと薄い色の花が飾られることが多いですね。白や黄色、紫といった色が定番でしょう。
「高貴」という花言葉を持つ「菊」は、お葬式で最もよく見かける花でしょう。
「純潔」や「威厳」という花言葉を持つ「百合」もお葬式ではよく見かける花です。確かに大きな百合の花には、他の花が持たないような「厳しさ」があるかもしれません。美しさの中に強さが見える百合は、男性の故人に合った花かもしれません。
「母の日」に送られる「カーネーション」は、女性の故人によく送られる花です。「真実の愛」という花言葉を持つカーネーションは、確かに女性、特に母親をイメージさせますね。
キリスト教の葬儀では、参列者が個別に献花します。これは仏式葬儀における「焼香」、神式葬儀における「玉串奉奠」にあたるものです。献花では通常、カーネーションや菊を捧げます。花は右手で花側を、左手で茎側を持ちます。花を捧げる際は、茎側を祭壇に向けてください。その後、一礼して黙祷します。
キリスト教式のお葬式でも、もちろん場を飾る意味で花が使用されますが、宗派によっては決まった花があるため、好きな花を贈れるわけではありません。ただ、カトリックにおいてもプロテスタントにおいても、マリア様の花とされる「白百合」は好まれるようです。
お葬式は人生最後のビッグイベントです。人類は、その長い歴史の中で「死」というものは何なのか、ずっと考え続けてきました。その中で宗教が生まれ、その宗教観に基づき、「死」に際して儀式を行った。これが「お葬式」であり、この「お葬式」のスタイルは、国、地域、そして各時代に適した形に変化して、現在まで続いてきたのです。
今、私たちが行っている「お葬式」は、一昔前と比べると簡略化される方向にあります。しかし、宗教にはとらわれない、自由な発想、自由なスタイルでの葬儀を模索する人たちが増えてきています。その根本にあるのは「ありがとう」の気持ちです。「ありがとう」は、故人からのメッセージでもあり、参列者からのメッセージでもあります。
お葬式について思うことを書いてきましたが、つまるところ、お葬式というのは、人を思いやる心で進んでいくのですね。